【開催レポート】映画『ゴールデンカムイ』監督・久保茂昭氏登壇ティーチインイベント『Cineducare(シネドゥケア)』(主催:シネマティック・ランゲージラボ)
2024年1月29日、デジタルハリウッド大学大学院(DHGS)シネマティック・ランゲージラボは、映画『ゴールデンカムイ』監督・久保茂昭氏をお招きし、映像を交えながら落合賢准教授と対談するティーチインイベント『Cineducare(シネドゥケア)』を開催しました。その様子をお伝えします。
冒頭、久保監督の登壇に先立ち、映画ゴールデンカムイの予告編映像が上映されました。
映画『ゴールデンカムイ』予告
次いで、久保監督が登壇し、対談が開始されました。モデレーターは落合賢准教授です。
――本日はご登壇頂きありがとうございます。ご挨拶をひと言お願いします。
今回、映画ゴールデンカムイを監督させていただいた、監督の久保茂明です。(落合賢准教授のことは)いつも賢って呼んでるくらいの仲で、本当はあまりこういうイベントは来ないんですけど(今回は)賢(の誘い)で来たような感じなので、今日はよろしくお願いします。
――作品が公開されて、監督は、劇場に行かれるタイプですか。
今までは行ったことないんですけど、今回は行きました。IMAXの劇場で見たかったので、お客さんに紛れて行かせていただきました。(久保監督作品のHiGH&LOWに出演していた)LDHの川村壱馬と一緒に。
――実際に観客と作品をIMAXでご覧になられて、どんなお気持ちでした。
あの熱量はすごくて、終わった後の観ていただいた方たちのざわざわ感とか もすごい感じて、プラス、お年寄りの方がIMAXを見に来てて、 それが嬉しかったですね。笑い声とかもちょっと響いて聞こえてきて。色んな世代の人に見てもらえるものになってよかったなっていうのはあります。
――この作品、コメディーの部分がいっぱいあるので、劇場で笑ってもらえると嬉しいです
そうですね。
――ゴールデンカムイの話を始める前に(会場の)皆さんに、お聞きしたいんですけれども、既に作品を観られたっていう方、挙手頂いてもいいですか。
(既に観たという方が会場の半数以上。最も多い方で5回)
久保監督のキャリアについて
――久保監督のキャリアについて、お話を聞かせていただきたいなと思います。
昔は映画監督になりたくて、日大の映画のところ(注:日本大学芸術学部映画学科監督コース)へ行ったんですけど、1回そこで挫折はしてるんですよ。周りもすごい人が多かったので、色んなコンプレックスから、自分は映画はもう向いてないんじゃないかなみたいな感じを受けて。
その時にちょうどミュージックビデオが世の中で流行っていた。音楽がすごい大好きだったので、学生の頃から、例えば、ある曲があったらその曲がエンディングに来るように、歌詞から物語を考えたりとか、そういうことばかりしてました。
自分が向いてるのは、もしかするとミュージックビデオかなと思って、そのまま、バイトでミュージックビデオの現場に飛び込んで、 それで、現場でいろいろ顔を広げていって、そのまま、就職活動もせずに、小さい制作会社に入ったんですけど、やはり監督にすごいなりたかったので「とにかく監督になりたいです」みたいなことを言って。
働いて2年目ぐらいの時でも、インディーズのミュージックビデオとかをずっと自主制作で撮っていて、3年目ぐらいから、それがちょっとずつ増えていきました。そのときは、高橋栄樹さん(注:映画監督、ミュージック・ビデオ ディレクター)っていう師匠がいて、その人の下につきながら、自分で、3本ぐらいとったら、作品集を作って(レコード会社の人に)それでお願いしますみたいな感じで、だんだん増やしていきました。4、5年目で、師匠から「お前1本立ちしろ」みたいになったので、そこからフリーでずっとやってきた感じですね。
――すぐフリーになられたんですね。
すぐフリーになりました。フリーが流行ってた時代で、自分で営業して、フリーの怖さとか強みがありました。(フリーの強みとして)いろんなとこに顔を出せるというところがあったので、ほんとに自分の足を運んで、作品集をいろんなレコード会社に送ったりして。それで、どんどん仕事を、取ってきて。
(以前から)ミュージックビデオで頂点取りたいなと思っていて、ミュージックビデオ極めてやろうと思って、そこに集中して色々やっていたら、LDHのEXILEのHIROさん(注:LDH JAPAN創業者、代表取締役会長兼社長CEO兼CCO)に気に入っていただいて、そこからずっとLDHをやっていました。それで今度、一緒に映画を撮らないかという話しをいただいて、それで、HiGH&LOW、ハイローをやらせてもらいました。それまで映画のことは諦めてたんですけど、そういう依頼がかかるってことは滅多にないかなと思ったので、そこで、退路を断って。(その後)紆余曲折あって今日にいたった。
――フリーになったのは、おいくつぐらいだったんですか。
僕は、働いたのが結構遅くて、24から。(フリーになったのは)5年目だったので、29ですね。
――そこからフリーでずっとやって、HiGH&LOWをやられたのが、おいくつですか。
ハイローは、 7年前か8年前だから、42、43くらいの時ですね。
――10年かけて、もう1度夢に返り咲くというか、ミュージクビデオから映画の方に戻ってきたということですね。
そうですね。夢に返り咲くっていう気持ちもありましたけど、求められたので今はそれに応えたいという気持ちが1番強かったですね。それがたまたまHiGH&LOWという形だったかもしれない。期待されてるものに対して自分のフルパワーで応えたいという気持ちでずっと生きてきたので。
――学生時代にお話を聞かせて下さい。(今日の会場である)デジタルハリウッド大学と大学院は、フィルムスクールというわけではないですが、映像を志してる方たちが大勢います。久保監督は日大の学生時代に、今でも使えることとしてどんなことを、学びましたか。
「自己満足じゃ終われない」というのを教わりました。皆さんもそうだと思うんですけど、作りたい側に回った瞬間に、もう人を批判してる場合じゃない、自分が批判というか「批評されてなんぼの世界」に足を踏み込んだなっていうのは、 学生時代にすごく実感しました。作ったものだけでなく、自分の言葉1つ1つを、周りの人は見てくる世界に、足を踏み込んだというのを、学生の頃に感じられて良かったと思います。
――もう1点、学生たちが卒業した後の道を選んでいく中で、助監督的な師匠のルート であったり、ミュージックビデオ、コマーシャルの道など、色々ある中で(学生が卒業後の進路を考える拠り所など)その点についてはどうお考えですか。
それぞれ自分に合ったやり方でいいとは思うんですけど、自分の憧れてる人とか、 僕は、師匠の高橋栄樹さんに関しては自分が持ってないものを全て持ってるように見えたので、この人の下で学んでいけば自分の良さとか、自分がダメなとことかがより学べて作品に出せるかなっていうのが1番感じました。あと、師匠が近いとこにいるとなんでも相談できるので、それが良かったなと思います。(それが自分を)より成長させてくれる1つの環境かなって僕は思ってます。
ゴールデンカムイについて
――ゴールデンカムイは独特の世界観から、長らく「実写化は不可能」と言われてた作品です。原作を映像で忠実に再現していくというコンセプトで、最初に依頼が来た時のお気持ちをお聞かせください。
僕は、原作の大ファンだったので、色々なインタビューでも言ってるんですけど、フィギュアも集めて、相当な課金もしてきたので、そんな 僕にそんな依頼がある、選ばれたっていうのは、普通に泣きました。けど、15分後には、実現不可能な原作だと僕も思ってたので、それをどうすればいいんだっていうので、頭が真っ白になりました。今までの経験とか、時代劇も撮ったことがない僕の中で新しいアプローチでしかないものを、こんな偉大なる原作でやっていくのが、嬉しかった瞬間の後に怖さとかプレッシャーで、真っ白になったような感じです。
――原作を映像化する中で、久保監督にしか出せない味みたいなものを、やってみたいというお気持ちはありましたか。
原作の大ファンだったイコール野田先生と原作をリスペクトしてる気持ちが強かったので、野田先生も、8年かけてきたこの原作を実写化するにあたって色々お気持ちにも応えたいなと思いました。僕が できることはリスペクトかなと思って、もうそこから発進したので、野田先生のブログとか取材とかまた見だしたりして、それで、気が付いたら、1人で野田先生が行った北海道に取材に行ってたり。 ほんとに制作が始まる前なんですけど、そういったものを調べて、とにかくできるだけ同じスタートに立てればなと。もちろん立てない、オリジナルじゃないのですが、とにかく、原作愛っていうものを、より1番感じとれる監督、スタッフになりたいなと思いました。とにかく、もう、いてもたってもいられなかったですね。
日露戦争、馬に引かれるシーンのエピソード
――クリップをちょっと上映させていただきたいと思います。この作品、リアルティを追求されている作品なんですが、山崎賢人さんが「もうなんでもやった」というほど、アクションを体当たりで制作されているので、その、メイキングの映像を皆さんにご覧になっていただきたいと思います。
(日露戦争のシーンや、馬に引かれるシーンのメイキング映像をご覧いただきました。配信はされていない映像のため、URLでの紹介はありません)
――どうですか、あの撮影現場を思い返してみて。
大変でしたね。過酷でした。みんなワイワイやってるように見えますけど、それはもちろん、 準備をしっかりしてる中だからできる現場なのかなっていう感じはしましたし、もちろん 楽しかったです。アクションシーンを今見ていただいたように、あれも、1回引くだけじゃなくて、何度も何度もやってもらったし。
それは、色々指示を出してたのは僕だけじゃなくて、下村アクション監督と賢人くんの、キングダムとかアリスとか、その辺からの信頼関係もあったから、あの引っ張られを本人がやったっていうのは(これまでの信頼関係があったという要素が)すごくあるかなと思ってます。多分初めての スタッフとかでは、アクションは(本人には)やらせないですね。賢人くんも下村さんを信用してるし、その中での生まれたシーンで、2人の関係じゃなきゃできないところかなと思います。
僕はその中で、お芝居のテンションをちゃんと見て(あのシーンはアシリパとの)クライマックスの中で大事なシーンとして、そこに持っていけるお芝居とか呼吸感ができてるかっていうのをしっかり見てたって感じです。
――日露戦争シーンは、どのぐらいの人数、規模感、日数でやられたんですか。
映画の冒頭に出てきて、主人公の杉本がこれだけ悲惨なあの体験をしたという気持ち、体験を見てる側に伝えたかったので、 そこをしっかり伝えたいなと思ったので、無理を言って、本当は4日だった撮影を10日ぐらいにさせてもらって、規模感も203高地の坂を、山のてっぺんを取るだけっていう、無謀な作戦を昔はやってたということもちゃんとしっかり伝えなきゃいけないっていうのと、その中で兵士の熱量を伝えたかったので、10日ぐらい。日本兵で多分150から200名、ロシア兵も50以上、80ぐらいの規模で毎日やらせてもらった感じです。スタッフも100人以上いらっしゃって。
その後、日露戦争の撮影を最初に行ったことが、各キャストの方の役作りの一環でもあり、その後の北海道行ってからの撮影での表情にもつながったことが紹介されました。併せて、明治時代の日本兵の所作について軍事顧問の方、アクション監督の下村氏も含めて役者全員が2週間に渡って敬礼、歩き方、銃の持ち方、リュックの背負い方を訓練したことや、さらには、柔道、空手、武道の戦術が混ざってることも細かく詰めて撮影されたことが紹介されました。
――馬ぞりのシーンでの下村アクション監督とのエピソードを聞かせて下さい。
最後の馬ぞりのシーンは脚本をもらった時に、ここがクライマックスにしたいなというところがあって、それを脚本チームやプロデューサーチームに相談して、どういうことをやりたいかは1回僕に考えさせてくださいって言って、僕が、プロット、リファレンス映像をひたすら集めて、そのプロットと物語が、一目で、スタッフが理解できるように、口だけで言うのではなく繋いで、下村さんに入ってもらいましたね。それから、下村さんが、現実味のあるやり方を、落とし込んでいってくれたような感じです。
――日本人の監督はビジュアルではなく、言葉で説明する方が多い印象ですが。
そこも迷ったんですけど、自分の熱量を 伝えたかったので、あと映像のクオリティですよね。ストーリーボードや言葉だけでは通じない、世界中に、クオリティが高い映像があるので、僕は自分が映画を撮るんであれば、そういったところをやっぱ目指したいなと思ってましたので、そのクオリティの高さとかっていうものの基準として、 こういったところを超えたいということを、言葉だけでなく、映像として伝えたいなと思ったので、そういうアプローチをしました。
アイヌ文化、北海道での撮影について
(アイヌ文化を描くことについての、出演者のインタビュー映像をご覧いただきました。配信はされていない映像のため、URLでの紹介はありません)
美術、衣装、小道具、メイクなど、細部まで徹底的にこだわり、世界観を再現したここと、その中でも大切にしたのがアイヌ文化であり、アイヌの方の協力を得て、アイヌの集落をリアルに再現。草木から育てて、コタンを建てて、また、衣装はアイヌ工芸家の方が携わり、一年かけてつくられたことが紹介されました。
――美術について教えてください。
このアイヌ民族を実写で描くところで、アイヌの方々の協力がなければできないことは全スタッフが思っていたことなので、衣装のまさ江さん(注:宮本まさ江氏)に、北海道へ飛んでいただいて、作っている方々にとお話をして、本当にアイヌの方々に衣装を作ってもらいたいという想いも共通してありました。
その他、監督ご自身がウポポイなどに一人で赴いて、アイヌの方と話し、疑問に思ったことを直接聞かせて頂いたこと、その結果として小道具、衣装、セットなどでアイヌ文化を丁寧に映像化していったことが紹介されました。
また、北海道での撮影については、飛行機の欠航等のリスクを考慮し本州での撮影も検討されたが、一口に雪景色といっても地域で大きく異なることから、多くは北海道で撮影を行ったことや、また明治の町並みの再現は、もともと江戸時代のような看板がついていたところで行われたが、今回の撮影用に明治時代にすべて変更したことなどが紹介されました。
鶴見と土方が出会う銀行のシーンについて「白石と牛山が出会うところの街並みは、 この映画だけの、オリジナルのお店を全部作ってて、そこだけでも写真集ができるんじゃないか」とのことをお話し頂きました。また、撮影する雪山や崖については、シーンごと、場合によってはカットごとに北海道や長野などから選択されており、特にIMAXでは、なぜここで戦ってるのか、どういった意味でこの山を選んでるのか、ということも感じ取れるのではないか、との説明を頂きました。
現場の雰囲気について
(撮影時のキャストとスタッフの和やかな雰囲気を紹介するメイキング映像をご覧いただきました。配信はされていない映像のため、URLでの紹介はありません)
――現場の雰囲気はいかがでしたか。
1つの作品に向かっていく気持ちの空間にはなってたと思います。シーンによっては、僕が邪魔な場合とかも あったりするので、そこはもう空気感に任せて、何も出ていかないとか、みんなで作っていってる感じを感じられたような感じがしますね。
もちろん(監督なので)現場のカメラ近くでお芝居や表情を見ていかなきゃいけないんですけど、その場の雰囲気とかでそういった(前面に出ない)こともありました。
続いて、カメラマンの相馬大輔氏は日本を代表するエネルギッシュなカメラマンで、久保監督とは初めてのコラボレーションであること、久保監督のアイデアを元に、相馬氏のアイデアを多く頂き撮影前に加えて、翌日の撮影についてまでお2人で話し合ったこと、監督とカメラマンは夫婦ほど近しい関係で、一緒にできてよかったと思うと同時に、相馬大輔氏を選んだプロデューサー陣の目が素晴らしい旨をお話し頂きました。
キャストとの交流・役作りの仕方
――キャストとの交流の仕方、役作りについて教えてください。
特に主演の2人に関して、撮影前に会わせていただくんですけど、山崎賢人 をやっぱり自分が1番知りたい、知ってたいと思ったので、彼の過去の作品を全部見直しまして、その彼のお芝居を見て、なぜ彼がこう今までこう主演を張ってきたのか、彼の良さ、そういったものを自分なりに発見しとかないと、会った時に対等に会話できないかなと思ってました(中略)杉本もいろんな経験をしてるあの主人公なので、そこでの共通点とか、そういったものも見極めて、本人と会うときは、杉本ノートっていうすごく分厚いのを作って本人に渡して(中略)杉本はこういう感情で生きてきてきてるんだよっていうのを、本人に分かりやすい感じで、出してあげることによって、なんでも聞いてほしいし、そういった状況を作れるように、そういうアプローチをしました。
――その杉本ノートに、あの肉体の作り方などがあると伺いました。
そうですね。これぐらいの筋肉をつけるんだったらどれだけ大変なのかというのを本人にも聞きたかったですし、まだ特殊メイクのテストをする前だったので、こういう傷の見え方をしたいとか、色々、あの、色々資料を探しました。それと筋肉、目線ですよね。203高地を経てから1番最初に現れる、振り返っての目線に1つの物語を感じさせたかったので、そういった大事なところの資料は、まとめて見せて、全部見なくてもいいよとは言ったんですけど、本人は吸収してくれて、筋肉作りも(してくれた)。その時(会ったときは)痩せてる役だったんで、痩せてたんですけど、やっぱり筋肉を10キロぐらい半年でつけてくれて、あれにはほんとに感動しました。
参加者との質疑応答
Q. 自然の中での撮影について、太陽の位置、影など撮影苦労したり工夫したところを教えてください。
太陽は偉大ですし、太陽を背負った時のその役者の見え方とか、皆さんもこれから色々な太陽で撮るとは思うんですけど、そういったものが大事な時はスケジュールを組みます。 ここで、このシーンの時に、この場所で、あの太陽を背負いたいですっていうことをスタッフ、演出、助監督、チーフの方、スケジュール切る人に、お願いして、その大事な時は、大事な太陽を狙う時は、もちろん狙います。
Q. 音に関して、こだわったことをお聞きしたい。
例えば、ヒグマの鳴き声。あれはほんとに録りに行ってます。それぐらいこだわって、普通だったらヒグマの叫び声はYouTubeに落ちてるんじゃないかとか 僕も思ってましたけど(中略)ヒグマが叫んでるじゃないですか、その叫び声を録るにはどうしたらいいんだとか。(中略)動物虐待は全然なくて、どう録るのかというところを1から考えてやってるような感じなので、それぐらい、ヒグマ1つでもこだわっています。
Q. 漫画になくて映画にあるものと言えばサウンドです。撮影する前から音楽を聞いて、イメージして映画を作るのでしょうか。それとも(撮影時には音楽を意識せず)後から音楽は考えられるのでしょうか。
今回は最初から音楽をある程度イメージして、各シーンにどんな音楽が合うかとか最初に考えて、撮影には挑んでいます。作曲家の山田さんがあの映像を見て感じ取った 音楽っていうものは、偉大。
Q. ミュージックビデオの撮影と、映画撮影の共通点と相違点。
よく聞かれる。僕は分かんないです。あの、わかってる監督さんとかいるとは思うんですけど、ミュージックビデオっていうのはアーティストリスペクトでしかなくて、そのアーティストをどう輝かせるかっていうものを自分のフィルターを通して 描いて、それが上手くいくかいかないかというとこなので、自分の中の映像作家としてのアーティスト性っていうところは、後からついて 来るようなイメージが多くて。だから今回のゴールデンカムイも、こんな偉大なる原作があって、僕はそこから、リスペクトするところのアプローチが一緒であったからこういう形になったのかなとは思いますね。そこの 何をこの原作の映像化して引き出せば大丈夫か。もちろん自分のフィルターを通してなんですけど。その中で自分の演出とか自分が好きなものとかいうよりは、この原作を実写として届けるには何が最大限自分ができるんだろうなっていうところのアプローチは、ちょっと似てたのかなっていう感じはあります。
Q.作中でダイヤモンドダストが非常に印象的に使われていましたが、現場で撮影したのでしょうか。VFXと実際に撮るバランスについて監督のお考えをお聞かせ下さい。
僕はできるだけリアリティで取りたい人間なので、そういったものを狙いたい時はそうやってます。ただVFXは映画にとっては必ず必要なものです。日本アカデミー賞でVFX部門がないので、そろそろできてもいいかなと思いますし、それくらいリスペクトするべき部門だと思ってます。
VFXに長けた人と、ここは僕らに任せてくださいとか、相談しつつやっていきます。まずは自分の思いを 伝えるってことですよね。本当にどれだけ実写で表現したいのかと。爆発するシーン、砲弾とかも実際ほんとにやってます。その経験を役者の人たちに経験してほしいなっていうとこもありましたし、やっぱ本物の良さっていうものも 僕はわかってるつもりです。 ダイヤモンドダストは、ほんとにリアルです。
最後に
――映像制作を目指す方へのアドバイスをひと言。
ここ何年かで感じるんですけど、日本の 映画、ドラマは、新しい時代に入ってるのかなと、 すごく感じます。今回のゴールデンカムイのアプローチも今までと違う。
そういった時代に入ってると思いますので、これから皆さんが映像を作って 行く ために、より良いあの世界が生まれていくんじゃないかなっていうのはすごく感じているので、やっぱどんどんあの挑戦をしていって、さらにより良い日本の映画世界、映像世界、ドラマ世界を作り上げてください。
――ありがとうございます。
久保監督の原作と向かい合う熱意、映画制作への情熱があふれる雰囲気の中、今回のシネドゥケアは終了しました。また、久保監督の誕生日が近いということでケーキのサプライズがありました。
(レポート構成:福田達男)
登壇者プロフィール
久保 茂昭(くぼ・しげあき)氏
1973年生まれ。これまで、EXILE、安室奈美恵、DREAMS COME TUREなど数々の有名アーティストのミュージック・ビデオを500作品以上監督し、「VMAJ年間最優秀ビデオ賞」を5年連続受賞。
ドラマ「HiGH&LOW~THE STORY OF S.W.O.R.D.~」(15)を皮切りに、同シリーズの映画公開作品を監督。
その他の監督作品に、高橋ヒロシによる不良漫画の金字塔『クローズ』『WORST』のコラボ映画『HiGH&LOW THE WORST』(19)や『小説の神様 君としか描けない物語』(20)などがある。
落合 賢(おちあい けん)
デジタルハリウッド大学大学院 准教授
東京の高校を卒業後、渡米。南カリフォルニア大学(USC)の映画制作学科を卒業、2008年にアメリカ映画協会付属大学院(AFI)の監督学科で修士号を取得。卒業制作の『ハーフケニス』が、全米監督協会(DGA)から日本人として初めて審査員特別賞を受賞した。
ウエンツ瑛士主演の「タイガーマスク」で長編映画監督デビュー。
2014年には日本と北米で公開された福本清三主演の映画「太秦ライムライト」が、ファンタジア国際映画祭で最優秀作品賞、主演男優賞をW受賞。また、長編第4作目「サイゴンボディガード」が2016年に公開されると、ベトナムでは「スターウォーズ ローグワン」を超えて大ヒットを記録する。
小説「パパとムスメの7日間」のベトナム版リメイクを監督。2018年、12月28日にベトナム全土で公開され、100万人を動員、ベトナムアカデミー賞最優秀作品賞にノミネートされた。「サイゴンボディガード」が、ユニバーサルピクチャーズによってリメイクされることが決定。「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のクリス・プラットが主演し、落合は「アベンジャーズ」を監督したアンソニー&ジョー・ルッソ兄弟と共にエクゼクティブプロデューサーとして参加することが発表された。
劇場公開長編映画のみならず、ショートフィルムやCM、MVなど幅広いジャンルの映像を監督し、ロサンゼルスを拠点に日本、アメリカ、ベトナムなど世界各地で活動している。
2021年度よりデジタルハリウッド大学大学院にて准教授に就任し、「シネマティック・ランゲージラボ」でハリウッド式映像制作術を教える。
『ゴールデンカムイ』作品概要
STORY
舞台は気高き北の大地・北海道。時代は、激動の明治末期―。
日露戦争においてもっとも過酷な戦場となった二〇三高地をはじめ、その鬼神のごとき戦いぶりに「不死身の杉元」と異名を付けられた元軍人・杉元佐一は、ある目的のために大金を手に入れるべく、北海道で砂金採りに明け暮れていた。そこで杉元は、アイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った男「のっぺら坊」は、捕まる直前に金塊をとある場所に隠し、そのありかを記した刺青を24人の囚人の身体に彫り、彼らを脱獄させた。
囚人の刺青は24人全員で一つの暗号になるという。
そんな折、野生のヒグマの襲撃を受けた杉元を、ひとりのアイヌの少女が救う。「アシㇼパ」という名の少女は、金塊を奪った男に父親を殺されていた。金塊を追う杉元と、父の仇を討ちたいアシㇼパは、行動を共にすることとなる。
同じく金塊を狙うのは、大日本帝国陸軍第七師団の鶴見篤四郎中尉。日露戦争で命を懸けて戦いながらも報われなかった師団員のため、北海道征服を目論んでおり、金塊をその軍資金代わりに必要としていた。
そして、もう一人、戊辰戦争で戦死したとされていた新撰組の「鬼の副長」こと土方歳三が脱獄囚の中におり、かつての盟友・永倉新八と合流し、自らの野望実現のため、金塊を追い求めていた。
杉元&アシㇼパVS.第七師団VS.土方歳三・・・‼
雄大な北の大地を舞台に、一攫千金!三つ巴のサバイバル・バトルが、今始まるッ――‼‼
●出演者:
山﨑賢人
山田杏奈 眞栄田郷敦 工藤阿須加 栁俊太郎 泉澤祐希 矢本悠馬
大谷亮平 勝矢 高畑充希
木場勝己 大方斐紗子 秋辺デボ マキタスポーツ
玉木宏 舘ひろし
●原作: 野田サトル「ゴールデンカムイ」(集英社ヤングジャンプ コミックス刊)
●監督: 久保茂昭
●脚本: 黒岩勉
●音楽: やまだ豊
●主題歌: ACIDMAN「輝けるもの」(ユニバーサル ミュージック)
●製作幹事: WOWOW・集英社
●制作プロダクション: CREDEUS
●上映時間:128分
●撮影期間:2022年末~2023年春
●公開: 2024年1月19日(金)全国公開/IMAX同時公開
●配給: 東宝
●©野田サトル/集英社 ©2024映画「ゴールデンカムイ」製作委員会
●映画『ゴールデンカムイ』:https://kamuy-movie.com/
デジタルハリウッド大学大学院研究実践科目「シネマティック・ランゲージラボ」について
シネドゥケア
シネマと教育(エドゥケア)を組み合わせた言葉で、デジタルハリウッド大学大学院シネマティック・ランゲージラボが主催する映画ティーチインイベントです。
シネマティック・ランゲージ(映画芸術的言語)
ハリウッドの名だたる映画作家を輩出しているアメリカのフィルムスクールである南カリフォルニア大学(USC)、ニューヨーク大学(NYU)におけるハリウッド式映像製作術を言語学的に紐解いたもので、映画(シネマ)を“視聴者にストーリーを伝える言葉”と捉えた理論です。
シネマティック・ランゲージラボ
落合准教授が担当するデジタルハリウッド大学大学院のラボで、ハリウッド式映像製作術をはじめ実用的な技術を身につけた国際的な脚本家、映画監督、クリエイティブプロデューサーを育成しています。「シネドゥケア」はその授業の一環としてシネマティック・ランゲージラボが主催しています。