学長挨拶
『わたしたちは、どうやら未来へのスタート地点あたりに辿り着いたようだ』
コンピューターが、この世で動き出して10年余りの1956年夏、Dartmouth大学に集まったコンピューターサイエンスのパイオニアたちは、Artificial Intelligenceという言葉を誕生させた。程なくして研究者たちは、幼児すら身に付けているような常識をコンピューターに教えるには、果てしないほどの情報が必要と悟るのである。
最初のターニングポイントは、1972年Alan KayがPersonal Computingというコンセプトと共に、子供たちのためのコンピューター「Dynabook」のアイデアを論文発表したことだ。わたしたちは未来に使うコンピューターの姿を知るのである。当時SFまがいと揶揄された論文は、半導体と集積回路の急速な発展により、現実となり製品化されることとなる。パーソナルコンピューターの誕生である。特に1977年発売の「Apple II」の大ヒットは、新たに巨大なPC産業を世界に産み出すきっかけとなり、PCのオペレーションシステムを席巻したMicrosoft社は、すべての国境を超える大企業へ発展していくのである。
PCが、世界中のオフィスや家庭に普及して行く80年代、人々は既存の電話線を利用して、コミュニケーションを盛んに行うようになった。パソコン通信である。そんな中、1989年、スイスにある欧州原子核研究所からWorld Wide Webが登場する。1995年までにはインターネットの商用利用が完了。WWWにより、人々はあらゆる情報をhomepageとしてネット上に書き込むようになる。すべての情報のデジタル化の始まりである。時を同じくして、デジタルハリウッドが東京に開校する。
他方で、Silicon Graphics社から始まったreal time 3D graphicsの流れは、ただちに PlayStationのような家庭用ゲーム機に応用され、グラフィック専用チップセットの急速な発展が始まる。数億台というゲーム機市場には惜しげもなく高度な技術が投入され、NVIDIA社のようなユニコーンを産むのである。わたしたちは3DCGの中に埋没する楽しさを知るのである。
90年代終わりにはInternetを利用したあらゆるビジネスが考案され「.com」ブームとなり、中心地のSilicon ValleyからYahoo!、Google、eBayなどが育って行く。渋谷もBit Valleyとなり、起業がブームとなる。もはや消え去るのみと思われたApple社に舞い戻った創業者Steve Jobsは 「Think Different 」キャンペーンを全世界に展開。iMac、iPodを大ヒットに導き、2007年にはiPhoneを発表。人々はselfieとSNSに夢中になり、買い物はAmazonで、となる。ここに全世界の人々がインターネットに繋がったスーパーコンピューターを持ち歩くというPersonal Computingの理想の世界が、スマホにより現実となったのだ。
一方、日本ではNTT docomo社のiModeにより世界に先駆けて携帯電話を中心とするデジタルコミュニケーションが独自に発達。機は熟したと見たデジタルハリウッドは2004年、構造改革特区制度を利用して、ビジネス界のリーダー育成を目指して専門職大学院を開学するのである。直後に世界的なブームとなった、人々がヴァーチャルリアリティの中で暮らすという壮大な試みSecond Lifeでは、大学院全体が様々な活動を行い、存在感を示すことになった。
長らく沈滞していたAIの研究開発だったが、ゲームやヴァーチャルリアリティに利用されてきたGPUボードを大量に連結することにより画期的なブレイクスルーが起きた。理論はあっても実質計算不可能だった世界が、突然計算可能となったのだ。それが2012年からのディープラーニングブームだ。あらゆる棋譜を飲み込み、さらに人が行きつけないスピードでトレーニングを積む囲碁AIは、世界チャンピオンを軽々と破ってみせた。この頃から AIに読み込ませる訓練データの質と量に鍵があることが注目されていた。
誰にでも役立つレベルのAIは、膨大な情報を知らねばならない。その情報は、全世界の人々が、この数十年でネットにアップしたクラウドに眠るプログラミング言語、テキスト、画像、音声、映像となることは極めて自然な成り行きだった。シンギュラリティを起こすために、全人類がコツコツと日夜絶え間無く作業をしてきたとも観えてくる。生成AIの大規模言語モデルのデータは、わたしたちが作ってきたものなのだ。だから、そこには間違いも嘘も悪意も含まれるのは当たり前だ。そして、十分に吟味した基盤データで動くロボットたちは、ロボット三原則を守って、わたしたちの相棒のように振る舞うだろう。生成系AIの応用は始まったばかりなのだ。
現代の我々は幼少期に言語を学び、その言語を使って思考をする。文字を持ったので、思考を文章として書き表わすことができる。もちろん思考を絵にしたり音楽にしたり彫刻にしたり舞踊にしたりもする。それと同じようにAIは、わたしたちの問いかけに対して、人間と同様にテキストのみならず画像や映像、音楽や3Dモデル、プログラミング言語などで答えてくれる。これは画期的なことだ。AIは、AIと名乗るに相応しいところまで、ついに到達したようだ。
わたしたちが、論理的にも情緒的にも、より高度な言語能力を身に付けることで、AIとのやりとりは人類の知の限界を押し広げるものとなるはずである。AIに対して優れた問いを持つには、 古今東西のリベラルアーツが助けになることは言うまでもない。個別最適化が得意なAIは、学びにおいて最高の教師になり、学習速度は飛躍的に向上する。わたしたちは、人類の特性である好奇心をドライビングフォースとして、情報空間を際限なく進んでいけるのである。AIと共に築き上げる世界では、人それぞれ数十億の多様な文化を育み、それらの総体が新たな人間像と社会を創造することになるだろう。
さて、現代のコンピューターが持つ広大メモリーと人智を遥かに超える計算スピードは、あらゆるシミュレーションを可能として、日々の科学技術の発展に寄与している。新型コロナウィルスに対抗するワクチンを数ヶ月で開発できたのも、もちろんコンピューターのお陰だ。コンピューターは数百万人の命を救ったのだ。Elon Muskが率いるSpace X社は、人間の技術者たちが持つ高いクラフトマンシップとコンピューターサイエンスを融合させ、ロケット製造を効率よく行なっている。人類が、宇宙に文化圏を広げる壮大な使命を実現させるための第一歩だ。人類は多惑星種という生物へ進む道を選ぼうとしてる。その時もAIはわたしたちと共にあるはずだ。
20世紀までの仕事の多くがAIにより、遥かに効率的に行われるようになり、わたしたちは自分なりの冒険により多くの時間を使うだろう。コンピューターは産まれて80年ほどで、チューリングテストを完全に合格しそうだ。これで、人類と共にAIたちが歩む世界へのスタート地点あたりにやっと来たと言えるわけだ。これからも、科学者たちの予想通り、指数関数的にテクノロジーが発展していくだろう。シンギュラリティはあっという間に過去のものとなり、偏在するテクノロジーにより、あらゆる格差は広がり人類社会はさらに混乱して行くだろう。それでも、わたしたちの人生は時間軸上で未来へと進む。出来れば社会に貢献する挑戦を続ける人生でありたい。その時、学問はわたしたちの道を照らすものとなるのだ。
人類の知性を超えるAI、そのAIでドライブされるロボット、情報空間への無限のダイブ、そして惑星間旅行。ついに21世紀らしい役者は揃った。Alan Kayの名言「The best way to predict the future is to invent it.」は人類が生き残る未来を築くために、私たちが確実に実行しなければならない言葉となった。さあ、人類史上もっとも大きな変化がある時代をリアルタイムで生きることを喜びとして、新たな未来へ共にスタートしようではないか!
杉山知之 Tomoyuki Sugiyama
デジタルハリウッド大学大学院学長 / 工学博士
1954年東京都生まれ。87年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、同大学・大学院・スクールの学長を務めている。2011年9月、上海音楽学院(中国)との合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員を務め、また「新日本様式」協議会、CG-ARTS協会、デジタルコンテンツ協会など多くの委員を歴任。2016年より「一般社団法人デザイン&テクノロジー協会」理事長。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。著書は「クール・ジャパン世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」※最新刊(ちくまプリマー新書)ほか。